マラソン

数年前ではありますが、筑後川ラソン大会に挑んだ記録をここに紹介させて頂きます。

 

前日の台風の影響で、大会自体が危ぶまれたが、神が試練を与えてくれた。

私自身、8:2で中止になると踏んでいたが、そうは問屋が卸さらなかった。

大会3日前に正式に開催が発表された瞬間、『まじか、嘘だ、走りたくない』率直にそう感じた。この時点で精神的なライフポイント80。そして、会社に行くと、同僚からとどめの一言「無事開催されるね!!」

この時点で精神的ライフポイント70、

 

『見張りがいる、もう逃げられねぇ』

 

ここまで、自分で目標を掲げときながらなんと無様な様相。しかし、前日の土曜日。男・あききる、重い腰を上げ、台風に逆らないながらスポーツ店へと足を運び、ショートパンツにランニングタイツ、シューズに五本指の靴下と下半身を揃えた。

 

そしてついに当日の朝を迎えた。天気は快晴、気温は高め。7時間睡眠で体調は頗る良い、あとはやるだけ。上半身はお古ではあるが機能性シャツにナイロンパーカー、下半身おNEWで身を纏い、いざ出陣。

会場は老若男女大勢で賑わい、結構なスピードでランニングし準備している人や友達同士で、「頑張ろうな、俺が脱落してもお前は進めよ!!」と当たり前の励ましをしている人々、孤独ながら、心と体に『お前ら、踏ん張ってくれ』と切実に願う自分がいた。

そうこうしているうちに、スタート時間の10時が迫り、そそくさと荷物を預け、後から振り返ると何であんな自殺行為をしたのか、念のためにとポケットにカロリーメイトを忍ばせてスタートラインに並んだ。

 

「パァンッ」て恐らく鳴ったのだろう。少しずつのろのろと前が動き出したので、私も歩みを進めた。精神的ライフポイント70、体力的ライフポイント100でスタートを切った。最初は余裕しゃくしゃく、「頑張れー、負けんなー」という周りの声援、そしてカメラに向かって手を掲げヒーローを気取ってみたりした。最初は早く前に進みたくて仕方がなかったが、その衝動を抑え、一定のペースを保ち10キロが過ぎた。この日の最高気温27℃、容赦ない太陽の日差しと台風が過ぎ去った後の暑さが体力をみるみるうちに奪っていく。この時点で精神ライフ60、体力ライフ70。約3キロおきにある給水所での給水ペースがぐんぐん上昇していく。20キロ手前、ついに足が止まった。

 

『やばい、鬼きつい』

 

その感情に呼応するかのように、大量の汗が噴出し、顔中を覆いつくした。堪らず、汗を拭おうとポケットのハンカチを取ろうとするが、必ず最初にガサッとカロリーメイトにあたる。

 

 『くそッ、とんだ足かせだ、邪魔でしかない』

 

やっとハーフ地点。あれから歩き続けていたわけだが、心の中では折り返したら頃合いを見計らい挽回しようと誓うも、無駄な誓い。この時点で精神、体力ライフ共に30。

ここで助け舟が追い風となって到来。ZARDの〈負けないで〉が脳内に流れてきた。予想よりも早く、1キロも進まない内に曲が2週し途切れた。かの名曲がかかるには時期尚早、おばあちゃん家の夕食ぐらい早過ぎた。

30キロを過ぎた頃には、両足じんじん、体力ライフは10、限界に近づきすぎて脳内に心の声も思い浮かばない状態だった。額にはざらざらと塩が生成され、どこにそんな体力があるのか、明らかにもうあと1、2歩で倒れるんじゃないかという悶絶した顔のおじいちゃん達に次々と先を越された。想像してみて下さい。もう限界、無理と完全にダウン寸前で歩いてしかいない時、完全に自分より苦しい顔でよぼよぼながらも走り去っていくおじいちゃん達の勇敢な姿をまざまざと見せつけられた時のことを。情けなすぎる、でも足はもう使い物にならない。

 

さぁ、刻一刻と最終関門34キロ地点の制限時間が迫っていた。

 

 「あと、5分で―す!!あと5分で関門閉まります!!頑張って下さい!!」

 

遠くから微かに聞こえた。関門まで恐らく残り1キロは切っていると感じ、所々走ったりするが続けれるわけもなく、すぐ立ち止まる。伊能忠敬も流石に歩みを止めるレベル。

 

 『もう無理。もうー無理。34キロ地点で止めよう。練習もろくにせず、よく頑張った』

 

そう自分に言い聞かせ完全にスイッチが切れ、精神・体力ライフ両方が0になるカウントダウンに入った時だった。

 

「残り1分です!!まだ間に合います!!頑張って下さい」

 

顔を上げると、学生や町のボランティアの人々が一生懸命声を上げて呼びかけていた。からからの砂漠に一粒の恵みの雫が落ちた瞬間だった。

 

『意外と近い、間に合うかもしれない』

 

残りのライフは確かにほぼ0だった。ほぼ動かなくなった心電図が声援という電気ショックで微かに波を打ち始めた。最後の力を振り絞る。全力で足を振って、手を振って、ぐん、ぐん、ぐん。

 

気が付くと、最終関門で両腿に両手を付き、ぜえぜえ息を吐いていた。

 

 「大丈夫です。間に合いました。ぎりセーフです」

 

残り2秒で関門にたどり着き、もちろん最終関門を突破した最後の一人だった。まだゴールもしていないのに拍手喝采、みんなとハイタッチをした。そして残り8キロをどうにか足をひきずりながら、最後は両手をしっかり挙げゴールのテープを切った。制限時間の6時間30分を超える6時間46分でのゴールだったが、最後まで待って、見守ってくれた地域のボランティアの方々。ゴールした瞬間は、清々しく、そして何より声援を送り続けてくれた周りの方々に本当に感謝の気持ちで胸がいっぱいで涙腺が緩んだ。

 

これが、マラソン大会の全記録となります。最後に、私が伝えたかったこと、それは限界は自分の想定よりも先にあるということです。大袈裟にはなりますが、34キロ地点で間違いなく私は諦めており、もしあの一声が無かったら完全にあそこで立ち止まりレースは終了していました。しかし、火事場の馬鹿力の如く、ふとしたきっかけで思いもがけない力がみなぎり爆発することがあると思います。限界には本当の限界と、自分で勝手に決めた限界が存在すると思います。そして、できると思い込むと意外と自分で決めた限界を突破できてしまう。

偉そうに言っておきながら、日々の生活で実践できていないので、胸が痛いです。

長文、最後までお読み頂きましてありがとうございました。